原因不明の慢性病は医・歯分業が元凶

群盲像をなでる

人体の消化器系硬組織である顎口腔の疾患を担当する歯科においては、近代的な医療技術のみが海外から人種による特徴や骨格性の根本的差異などの基本を逸脱し導入されたのであった。

歯科が分離独立した診療科であるため、他科によるはっきりとした診療がある場合には特段の配慮をするが、一般的に歯科は顎口腔以外の全身系の各種臓器に対してはさしたる配慮をしなくても、大きな問題にはならないのである。

さて、ここでお断りして先を述べてみたい。

本サイトは、専門的視野を踏まえながらも、敢えてそれが置かれている背景や現状など、その周辺に視野を広げ、その実態や状況に医療界特有の聖域化の恐れがあることからも、一般にこれらの情報を公開し、患者の立場を第一に踏まえ、以ってこれら問題解決のための指向性を旨としたい。

さて、今を生きる我々は、人類がかつて経験したことのない様々な状況の変化の中にある。
その中では、医学の科学性に疑問を抱かせるような「原因不明の疾患」に対する対応が全くなおざりにされている。
つまり、医学や医療は科学性に裏付けられた分野とされて来たが、この基本的な問題については全く手が付けられていない、また、テーマにも上がらない実態であり、ある種、聖域化されている。
本書に於いては、この辺りにも力点を置きながら情報公開に努める。

喩えは適切ではないかもしれないが、一般的にみると専門分野、または専門書はよく引かれる例に「群盲象をなでる」という諺で表現される。
その意味は、目の見えない人が象の脚だけさわって、象とはなんと太い柱のようだと感じるであろう。
牙だけを触った者は、象は大きな角のようなものと、また、鼻だけを触った者は、象は大きな蛇のようなもの等々、その一部分についての知識が、あたかも金科玉条の如くに述べられる。
しかし、このような場合、象はそのいずれでもない。正確に象を理解させるためには、その全体を触れさせることでしか、理解を得られないだろう。
いくら「私は本物の象に触った!」としても、目隠しをして象の一部に触れただけでは、その体験自体は事実であっても、象に対する誤解は解けない。
間接的にせよ絵やオモチャを直接触ったり、また詳しい説明をすることで、正しく認識することになるのである。

医学や歯科学の対象はヒトの身体であり、その担当者が単に医療という専門分野の中のごく一部分を極めることだけでは、目隠しをして象のそれぞれの部分に触れたこととなんら違いはないことを、先ずもって理解しなくてはならないはずである。

また、ヒト社会の医療である以上は、患者の全身系の病態は元より人格、家族関係、社会的立場などをホリスティックに、また、それらを自然科学的にありのまま捉え如何に対応すべきかという医学が誕生しなくては、解決し得ないのではなかろうか。
その後の重要な作業として、真因を探るための科学的な分析作業や、それに伴う医療行為が求められている。

しかし、現実は逆行しているかに見える。
つまり、最近は遺伝子にその原因を探る遺伝子還元論的なアプローチが主流になりつつあり、これらの考え方が、患者を診ず病気だけを対象にする診療体系になっている。
元より医療の対象は「ひと」であり、それを構成する遺伝子などではないはずである。

新聞の記事を紹介する。
医の信頼回復のために『「謙虚さ」科学に学べ、思い込み避け事実直視を』と題している。

「最近の基礎医学は研究対象が細胞から遺伝子、さらにはそれらを構成する分子にまで及び、物理や化学との垣根がほとんどなくなっている。
レーザーや超音波が診断、治療に導入され、医療現場のハイテク化も進んでいる。
しかし、医学の目指すものは遺伝子でも細胞でもない。病気でもない。
『人間』という捉えどころのない複雑怪奇な存在そのものを対象にする医学は、物理や化学のような”きれいな論理”だけでは割り切れない部分が多い。(中略)
自然科学の発展の原動力に、既存の学説では説明できない現象の発見がある。
論理的に解明できない例外的事象を敢えて研究することで、新しい法則や原理を見つけ出すケースは多い。
つい無視したくなるデータのブレ、ゴミ箱に捨ててしまいたくなる実験結果なども事実として、謙虚に受け止める科学者が、学問を進化させてきた。
一方、医学はこれまで蓄積された膨大な知識体系を覚え、医療機関や人脈が作り上げてきた経験を継承して成立する。
身につけた様々な知識や論理の枠からハミ出たケースにどう対応するか。
不都合な部分は切り捨てて、強引に既存のパターンにあてはめてしまうと医療過誤の原因になる可能性もある。(後略)」

これは10年前(1993年2月27日付)の日本経済新聞に塩谷喜雄記者が書いたものである。
今日読んでも新鮮さを感じる。問題の本質自体は現在も変化していないことを如実に示しているのだろう。
これらの教訓をより自然科学的な視点で医科、歯科の”狭間の患者”に対し、大胆にも率直な指摘をしながら役割を果たしたい。
さて、これは現在まで医学と歯科医学の”狭間”に置き去りにされていた分野の疾患であり、症状であると定義してもよいだろう。
新しい世紀に向けたテーマでもある。

そこで、基礎的な考え方として”歯が減る”ということについて考えてみたい。

乳歯については永久歯との交換があるが、永久歯との交換期を迎えるまでの”乳歯管理”のあり方次第では、その人の生涯を左右しかねないほど重要な問題である。
これらについては後の項で述べることにする。

永久歯と呼ばれる歯牙はその名に示すとおり、ヒトの生涯にわたって必要不可欠な消化器系の硬組織でもある。
永久歯が萌出し咬合し始めると歯質の消耗が始まる。
咬耗である。
一定の法則性に従って順次萌出してくる歯牙は、先に萌出している歯牙の位置や高さなどに大きく作用されながら人によって28本~32本の歯が萌出する。
つまり、上下左右の特定の位置に1本ずつ順次萌出する。従って、歯質が弱く咬耗が激しかったり、萌出して間もない時期に虫歯などに罹り歯冠部まで崩壊してしまうと、次に萌出してくる歯は位置異常を起こし、順次萌出して来る歯の位置や角度に狂いが生じてしまう。
これは遺伝子情報を逸脱する結果を招き、延いては人体の体幹や生理湾曲といった骨組織にも及ぶ悪影響も考慮すべき問題に発展するのである。

また、顎関節部の下顎頭や窩の完成は、15歳前後の上下左右第一大臼歯と中切歯の萌出完了(根端完成)時点といわれる。
また、親知らずを含めた歯牙の萌出完了は24歳前後といわれているが、この年齢に達する頃には、残念ながら歯牙の咬耗による歯質の消耗や歯の直立傾斜角度の異常が、萌出した順に全部の歯牙に、結果的に僅かながらも確実に起きてしまうのである。

以上を今後の歯科学の重要なテーマとしなければならない。
つまり、個人の持つ理想的で最適な『顎位』を何時の時点で捉えるかという健康の為の歯科学である。
自然科学の象徴と言われる”ひと”を対象にする難しさであるが、衆知を集める必要がある。
そこから導き出されるものは、人類の”齢”に対する考え方の大きな道標になるだろう。

実際には個人差もあるが、20歳前後の時点で歯科疾患に陥っていない場合は、本人もこれらの異常に気付かないが、一般的にはこの年齢前後には個人差こそあれ肩こりや腰痛、関節痛、頭痛、頭重感等々の症状を感じ始める。
しかし、これら何れもが「原因の特定」はされないのが通例で、原因不明の疾患とされている。
歯原性の医原病の原点である。
従って、歯科学は歯が減ることも看過すべき問題ではなく、全身系の観点からは一種の病態であるとする医学的な位置付けが、歯科学や歯科医学の専門性の建前から重要と考える。

冒頭述べた三つの病名とは別に、現在の歯科では顎口腔の専門領域として、顎関節に症状が出る
「関節の痛み(顎を動かすと痛むこと、自発痛)」、
「関節雑音(顎を動かすと様々な音が出る)」、
「開口障害(痛くて口が開かない)」
の三症状に限局し、『顎関節症』と定義して、歯科の口腔外科で対応している。

この定義はここに挙げた三つの症候をさしているが、重要な点は顎関節部に異常が出るということの由来、つまり、その原因や因子などの本質についての解明なのである。
しかし、そのための研究作業は、学問の府である歯科系大学の口腔外科という専門領域においても、全く究明するまでには至っていない。
また、それら口腔外科の実態もただ単に、先に挙げた顎関節腔内の症状にのみに焦点をあてた処置をしているに過ぎないのである。

その顎関節症の治療とは、最近MRI(磁気共鳴断層撮影装置)など近代機器を駆使して、間接円盤そのものを対象に治療をしているが、それでも期待した成果が出ない場合は三叉神経を含む、神経ブロック(痛む神経を物理的に遮断する)などの手法をとっている。
しかし、これらはいずれもがその場しのぎの対処法であり、再発や余病を併発する可能性が大きいことを予期しなければならない。

しかし、元よりこれら症状にもいずれかに原因が存在するのである。
その結果として症状が出ているものであり、現在の口腔外科で行う顎関節症の治療の多くは、根本的治療法には縁遠い対症療法であるということをこの際に明確にしておかなければならない。
つまり、原因が関節腔内の器質的な異常がある場合は別であるが、これら多くの症状の原因は、歯牙及びその歯列に何らか(歯が減っている、抜けてしまっている、また歯科でいわゆる”治療”をうけた後など)の咬合の不調和が原因と言っても過言ではない。
その証拠に、顎関節部に異常が出たとしても、レジン・スプリントやマウスピースなどの装置を上下の歯の間に介在させ、習慣性の噛み合わせを物理的に回避させることで、一時的にしろ症状が和らぐのである。

しかし、レジン・スプリントなどを装着して食事など日常生活に堪え得るものではない。
また、レジンは扱いやすい一方で耐摩耗性の問題や破折の頻度が著しいこと、あるいは歯科医の顎位についての概念や基礎知識の根本的欠如などもあって、診断や治療法は手探り状態であるため、頻繁に手直しが行われる。

そこで重要なことは、その手直しのたびに、患者の顎の位置(噛み合わせ)が微妙に変化する可能性が非常に高くなること。
つまり、上下の顎の位置が変わるのである。
それと反比例して、歯の噛み合わせなどの変化による生理的反応は、患者のからだに様々な形の”違和感”が生じ、場合によっては精神的な不安感を伴うなどの危険性を指摘しなければならない。

これはとりも直さず、患者の症状を一層、昏迷化、複雑化させてしまう。
故に、このようなレジン・スプリントなどの手法を治療法とすることは、原因を探るこのない、”群盲象をなでる”式の即物的な対処的療法であり、人体の硬組織の歯に対しては不見識のそしりを免れない。

歯科医学に求められるべき”理想像”を!という意味でも、一言で言うなら稚拙である。
”木を見て森を見ず”の感を強くする。

下顎窩腔内の解剖学所見の資料を紹介する。
上条雍彦『口腔解剖学2 筋学』(アナトーム社、1977年、第10版)による。

「鼓室部の穿孔=下顎窩の後壁を構成している鼓室部(耳管)には、しばしば孔があいて、外耳道と交通している。
穿孔部位が下顎頭の内側端に一致し、穿孔周囲の骨が菲簿であるところから、下顎頭の後方変位による圧迫も考えられる。
すなわち歯槽部の退縮にともない、顎間距離が短縮すると、閉口時下顎頭の回転運動のみで咬合位に達せず、下顎頭の後方移動がおこる。
この結果薄い関節包をへて鼓室部に圧迫がおこることが考えられ、特に側方運動時、下顎頭内側端が圧迫する。
(このことは中耳の根治手術のため鼓室部を取り去った人では、無歯顎になった時、義歯による咀嚼に当たり、意識的に患側を保護する咬合のため、特異な咀嚼運動を行っているのをみるとよくわかる。
以上のような穿孔を有する者が顎関節炎をおこせば、外耳道周囲に炎症が波及し、不快症状が起こるとも考えられる)」

口腔外科の担当者は、解剖学をどの程度まで理解されているのであろうか。
まさか、学生時代の分担解剖によるカリキュラムだけで、助教授や教授に就任したのではあるまい。

この例が示すところであるが、これまでのところ歯科学に於いては、これらに対する学問体系なども全く整備されていないところから、先に述べたとおり手探り状態の対処療法になってしまう。
従って名称については、思い付いた者が、それぞれに病名を付けているのが現状といえる。
また、これらの原因の中には、加齢現象によるとみられる場合もあり、ある意味においては宿命的な要素で発症する場合もある。
しかし、最近の問題の多くは、成長過程など、一般的にいう加齢現象で症状が出るのではなく、歯科による様々な治療を受けた後、運悪く症状が出てしまったことについて耳目にする機会はあっても、基本的に顎位や噛み合せの異常が全身系に及ぼす様々な影響などの学問的研究は稚拙であり、それらに対する予防対策などは、行政は元より、当の日本歯科医師会からもなんら適切な説明がなされていないのも現状である。

2001年1月28日に行なわれた日本学術会議第七部会・咬合学研究連絡委員会(日本歯科医学会、日本補綴歯科学会、日本インプラント学会、日本歯科審美学会、日本顎咬合学会、日本医薬アカデミー後援)のシンポジウムは「生命科学における咬合」=『咬合と全身の関わりを探る』=と題して開かれた。

これは国の管轄する国家的プロジェクトであるが、いわゆる歯原病に対する協議はしても、今日も全国的に発症する可能性がある問題に対しては全く手付かずの内容であった。
しかし、この会議は、これまでと少々趣きが違って、顎口腔系と全身系の関わりに正面から取り組もうという姿勢の確かなものを感じさせてくれる内容であった。
その意味で、このシンポジウムで特に印象的であったことを記しておくことにする。

登壇した6人の講師の中の一番目の講師が、歯科治療の中でも特に人気が高い矯正学の立場からスライドを使用しての説明を行なった。
症例は下顎前突の症例であったが、当然のことながら噛み合わせや顎位など、特に治療後の下顎頭後部組織に対する考えには全く重きを置かないものであり、従来からの論調と何ら変わりのない内容であった。
それは、下顎前突の症例を矯正力によって後退させる術式の説明の中で、下顎頭の後方移動についての見解は、「側頭骨が圧下をすることで機能する」と力説したのであった。
そのシンポジウムの最後に講師全員のディスカッションとなった際、その矯正学の講師は開口一番「今日は、私一人が内容的に浮いてしまった!」と語っていた。
学術会議のテーマは先に紹介したが、口腔と全身系との関わりについてである。
その講師の公演内容は全く当日のテーマを考慮しない内容であったことから、他の講師からもその点の指摘をされるという一幕があった。

このような会合では、今までには見受けられない光景である。
従来は、たとえ問題がある発言であったとしても、それらをあからさまに指摘しない、という暗黙の了解事項として、かばい合い穏便にことを進める、ことなかれ主義が一般的である。

聴衆の一人として、久しぶりに聞きごたえのあるシンポジウムであった。登壇する講師の真剣な対応に新鮮さを感じたのである。

しかし、このシンポジウムでも、歯科の日常臨床に対する方針などは出されないままであった。
何ゆえのシンポジウムなのか。
現状を考えると事態の性質上、臨床医に対して注意を喚起する意味で、それなりの通達などを出すべきである。

これらは、一般的に言う生活習慣病とはいささか事情が違うのである。
歯科治療が原因でいわゆる歯原病になることが問題なわけで、せめて最終段階の咬合のチェックだけは、患者固有の整理彎曲の下で行うことぐらいは、監督官庁や日本歯科医師会自らが早急に会員あてに通達すべきである。
患者は、それぞれに固有の整理彎曲の下で日常生活をしているのである。
治療に際し最初から最後まで、術者優先水平位治療台の上では問題がおきて当たり前である。
固有の整理彎曲の意味するものは、分節構造の人体であるから、重力の場で性を営む基本条件として多くの骨格筋のたゆみない緊張や弛緩によって支えられながらの日常なのである。

噛み合わせの以上により顎位がズレるということは、それら全身系との整合性をいとも簡単に崩す原因になるのである。
これなど、難しい理屈などは全く必要としないことは言うまでもない。
ヒトを対象にした医療という立場からすれば、当然すぎる話なのである。

しかし、歯科医学においても従来からの概念にないテーマである為か、あるいは、ただ単に関連思考が出来ず先入観が抜けきらないのか、
”専門性の既成概念”という存在の大きさを感じずに入られない。

そして、今日も全国各地で多くの歯原性の医原病の原因になる歯科治療が行われている。

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