歯の常識のウソ

健康の学問としての歯科学

病気に対する備えとして、各種の健康診断がありシステム化されている。
目的は早期に病気を発見するために、あらゆる手法を駆使して、将来起こりうる可能性のある病気までをも発見しようという近代予防医学の努力の結晶であることにほかならない。
また、それらが国民の健康診断の向上にもなり世界一の長寿国となっている。しかし、何故かこれまで歯科は現状追認の施療に終始し、予防を目的とした、いわゆる健康診断に参画してはいない。

一般の人にとっても、”歯は大事だ!”という共通認識がある一方、何故か歯科には従来から痛みや何等かの不都合が出た場合にのみ受診する傾向がある。
つまり、歯科自体が軽んじられているのである。

これら一連の実態は、一言で言うならば歯科の怠慢が生んだ所産である。
人体の骨格系に及ぶ影響力を秘めた器官を科学し得なかった歯科学百余年の歴史が、何よりも物語る。

現在行われている歯科検診においても、虫歯の有無を歯鏡で『慎重に』直視し、処置してあるか否かを見る程度であり、当の本人もしくは家族などの素人でも口の中を覗けばある程度分かることを”歯科検診”と称している。
これでは、歯科医学の専門化が「慎重に」という言葉を被せたとしても、検診自体、現状をを追認しているのであり、歯科の存在価値を発揮するまでもなく存在自体の影が薄いと言えよう。

これが現在まで歯科界でも問題提起されず、検診内容の改善もされる気配も見えない。

歯は見える骨と言われ、顎口腔も加齢により疲弊し、いわゆる老化現象を呈する。
口腔内の歯牙もそれと同様、恒常的に様々に変化することぐらいは誰でもが自覚することであろう。

専門である歯科医学は、顎口腔は現在進行形で様々に「変化」し続ける実態を、全身系の生理との関連性を重視する立場から、国民の協力を得ながら予防思想を重要なテーマとして俎上に上げるべきである。

人体の硬組織の中でも最も硬い組織が歯牙ということは一般的のも知られているが、その歯牙やそれが直立する顎の位置が徐々に変化することで、直接、あるいは間接的に骨格系へ、また周辺の組織、つまり神経筋機構に”ひずみ”が生じてしまうことを、歯科学は生理解剖学の視点を踏まえて徹底的に究明しなければならない。
それらを念頭に置かず、ただただ欧米からの技術情報にのみ、その存在を委ねた結果が、今日の日本の歯科医学の実態と言えまいか。

敢えて言えば、人体についても専門分極化が浸透し過ぎてしまい、自然科学的視点を失念した結果と言うべきであろう。今これを歯科学という砦の中の問題とするだけでなく、広く国民に啓蒙し、顎口腔の健常者の協力を得ながら、この壮大なテーマを攻略すべきであり、従来の病気の歯科医学から脱却する絶好の機会にすべきではなかろうか。

従来の歯科医学は、顎口腔に疾患を持つ患者からしか得られなかった情報を、今後は顎口腔の健常者からの情報も得る必要があるためである。これらは、本来求められるべき”健康の学問=歯科学”を確立するための戦略でもある。

具体的には、歯が減るメカニズム、また歯が動くメカニズム、それらが引き金となって顎が変異するメカニズムを究明し、それらと全身系の生理との関わりを解明する中で、問題が起きる前から適切な管理をすることによって、初めて健康の学問としての歯科学の存在価値が生まれる。これらは国民からも絶大な信頼を得ることは、論を待たない。

そして歯が減ること、歯が動くことは連動して顎のズレの原因にもなること、顎がズレると、一義的に顎間接および周辺の重要な組織の生理が乱れること、それらをある種の病態に至る兆候と位置付け、現時医科で行われている健康診断、及び人間ドックなどの検査項目に顎口腔の検査を加え、長寿社会の健康不安に備えるべきである。

具体的には、口腔を歯鏡で覗くだけの簡単なものではなく、正確な顎模型を採取し、全身系との系統立てた精密検査及び診断の結果と医科の検査結果をホリスティックに検討し、ヒトの身体に将来起こりうる疾患の可能性を顎口腔から予知し、真の健康診断に硬組織を担当する歯科から参画するシステムを確立する必要がある。
これは原因不明の疾患率の異常な高さが問題になる中、その原因を探る試みに顎口腔の精密検査を加えてみるべきとする発想である。

「歯は見える骨」。
その歯牙のあり様によって、顎位が偏位する。
脳頭蓋に近接する顎口腔の存在や、それが頚椎を始め胸椎、腰椎、仙尾椎の生理彎曲の変化に及ぶことは自明である。それら硬組織の不調和の結果は、付随する軟組織に生理的歪みが生じ、各種臓器に波及するのではなかろうか。本サイトに於いても、顎口腔との関連性については事実に基づく例を挙げて述べている。

歯科は、これらの引き金になり得る顎口腔の担当である。
また、生体の重心線の存在や解剖学にいう左右対称性の原則、そして固有の生理彎曲の存在など、人体の自然を科学し究明することなしには、病気の歯科学からの脱却など望むべくもない。
一重に、歯科学の発想の転換が必要である。

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