原因不明の慢性病は医・歯分業が元凶

歯科と医科の狭間

成人ともなれば、歯が減ることによる顎の位置も、身体の他の器官と同様、経年的に変化(老化)してしまうことは、ヒト科の人が日常生活する中で避けることが出来ない宿命である。
しかし、これまでの歯科学は、これら人体の硬組織を担当する専門性の立場でありながら、これらの実態をテーマとしていないのである。

歯科医学が国民の「顎口腔の健康に与る領域」という観点からすると、このままの状態では、結果としてしか疾患が起きてからの対応となり、歯原性の医原病に対する予防対策ははなはだ頼りない現状といえる。

これらが大きな問題点とする具体例に、当時45歳の男性は、15年にわたる両上肢手背部の合谷部に腱鞘炎を患い、常に痛む慢性症状があった。
整形外科を受診したが、原因や治療法などはっきりしないまま、右手首のガングリオンから注射器で内容物を摘出したり、電気医療を受けていたが一向に快方せず、当時は強い痛み止めの薬を飲み続けていた。
細かな手作業に影響が出始めたため、右手については手首にあったガングリオンとの関連で、神経を圧迫しているかも知れないという診断で、42歳の時に除去手術を受けた。
しかし、手術は成功したとのことであったが、両手背部合谷の痛みは一向に収まらなかった。
その他、身体の中心より左側に、各種症状が集中していた。
内容は、自身でも周囲の話などからも、数年に亘って肋間神経痛とともに、時折り心臓に下部から突き刺すような、または締め付けられるような痛みがあり、その翌日には忘れているような症状があった。
人間ドックの検診結果によると、尿道結石と心筋炎の疑いがあると指摘されたが、いずれも普段は全く症状がないことから、あまり気にとめなかった。

次に、サッカーによる怪我の後遺症で左膝関節炎、また左足外果部から足背(くるぶし)の靱帯を、子供の頃のスキーの怪我で延ばしてしまったための後遺症があった。
これらの痛みは日常生活の中の歩行や、ゴルフのラウンドで少し長く歩くと痛みが出るため、某医科大学付属病院の整形外科を受診し手術を考えたが、「延びた靱帯の手術は難しい、結果は保証できない」と言われ、躊躇していた時期でもあった。

因みに、この男性、口腔の状態は虫歯や歯周病などの疾患は皆無であり、楔状欠損(歯根に近い部分が、くさび状に減る状態)が上下左右の犬歯及び第一小臼歯に数箇所ある程度であった。
また、右利きでありながら、左側頚部を中心に頻繁に寝違えと首、左肩のこりと偏頭痛を常習的に感じていた。 その他、時折り左右外眼角からの内出血で赤目になることと、極度に疲れた時に上顎第一大臼歯舌側歯頚部付近から出血していた。
が、ある時、”歯科”で顎の位置に問題があるとして、処置を受けたと同時期に、両手合部の腱鞘炎が嘘のように消えたとなると、色めき立つのは当然だろう。

もう一つ特筆すべきこととして、この人物は、それまでの体温が35.2~35.5℃程度であった。
上下の噛み合わせを三次元的(上下、左右、前後)にごく僅か変え、20~30分する頃から身体が妙に温かくなり、両腋窩で36.4~5℃に上昇していた。
その後、金属製のスプリントを装着し、適宜な調整を繰り返し、16年後の現在(2003年)の平熱は36.3~4℃を維持している。

また、先の両手背部合谷の腱鞘炎様の痛み、左半身の古傷、心筋炎、両外眼角の症状などは完全に消滅し、現在も歯科的疾患は全くなく、山間に住みハタヨーガによる操体法をベースにした生活を営んでいる。

二つ目の問題は、各種歯科治療を受けたと同時期から、歯の噛み合せの不調和、顎関節症、頭痛、めまい、眼圧異常、吐き気など初期的症状に始まり、一定の期間の後に原因不明の頑固な肩こり、腰痛、痔疾、喉の異常、手足のしびれ感、胃腸の病気等々、この他にも個人差によりかなりの種類の症状が、いずれも全く原因が分からない”持病”を持つ、と報告されている。
このような場合、患者としては記憶をたどって、歯の治療の後あたりからかもしれない!と、歯科治療に対する不信感を募らせている。
歯科医の対応如何によっては、医療過誤として大きな問題になる。
また、実際に顎模型を精査すると、歯科での治療痕が原因であることが判明する。これなどは、現在までの歯科医学のあり方や方向性、また、歯科医自身の”力量”や”適格性”にも及ぶ、治療実態に深く根差した問題があると言わなければなるまい。
いわゆる「歯原病」「歯原性の医原病」という名の由来にもなっている。

三つめは、日本は基本的に人体を医科と歯科に分断した医歯二元論の教育体系にあることにより、様々な弊害が医療界で取り残された”狭間の疾患”が、多くの患者の症状に反映していると言っても過言ではない。
しかし、文部科学省も厚生労働省も、現段階でこれら医科と歯科の分断教育の弊害や、狭間の疾患に対する問題意識は持っていないのであろうか。医療を目的にヒトの身体に触れるということは、たとえその部位が何処であろうと、一つ間違えば患者の生命身体に多大の影響を及ぼすことにもなり兼ねない。
歯科は顎口腔だけを対象にするといえども、機関的機械臓器である顎口腔は、虫歯や歯周病の治療の仕方如何では物理的に顎がズレる原因を作ってしまうのである。
その結果、生命身体の機器に波及しないなどと考えること自体、とんでもない浅簿な考え方であることを、医学全体の問題として考えなくてはなるまい。
それにしても、医学系の教育は文部科学省で管理し、資格を得て医師、歯科医師になってからは厚生労働省の管轄となる。
また、歯科は下顎頭までは歯科口腔外科、その後部に隣接する菲薄骨の外耳管の疾患は耳鼻科と、即物的に立て分けたそもそもの理由は、何を規範に行なわれたのであろうか。
国民の目からは非常に理解し難い。
医歯二元論にしても役所の管轄権にしても、ヒトのからだを対象にした自然科学系の学問を合理的に一本化することに何の問題があるのか。
それらの弊害が、歯原性の医原病などという問題を引き起こす原因の一つになっているのではなかろうか。

1906年(明治39年)に歯科医師法案は帝国連合医会と明治医会とによる医師法と同時に帝国議会に上程され、両院を通過可決されている。
それにさかのぼる1895年8月の『日本医事週報』誌上に、当時、東京歯科医学院を主管していた血脇守之介が、アメリカ式の歯科独立教育論を提唱した。
それに対し明治医会の川上元治郎は、現状では医歯二元教育を認めながらも、将来は医学一般を修めた後に歯科を専攻すべきである(以上『入れ歯の文化史』笠原浩=文春文庫118)と述べたとされる。
この文言だけからは当時の背景など詳細については推察の域を出ないところであるが、川上元治郎は、”人体の顎口腔は、機械的機能を有する特殊な器官を与る領域”という認識が根底にあったのではないか、また、それが歯科医学の”今日的な諸問題”を結果的に予期していたのではないか、と考えるのである。

この問題を21世紀の大きなテーマとして、大胆な学際的研究及び医学系教育制度の根本的な改革をともなう施策が取られない限り、決して歯原性の医原病や、総ての疾患の原因不明率の高さの根本的解決には至らないのではないかと考える。
加えるに、医療に従事する者の全人的な的確性についても、重要視されるべき課題であろう。
現状はこの問題に手を付けず、旧来からの制度や価値基準のままで、特段、問題視されることもないのであるが、このままで良いはずはない。
学問の府である歯科系大学、また、その付属病院や一般開業歯科医の診療実態が生む歯原性の医原病が、結果的に問題とされているに過ぎないのである。

四つ目には、現行の医療保険行政の根本的な見直しである。
つまり、これらの”いわゆる歯原病”的症状は、歯科治療などによって引き起こされる場合が大きな問題となるのであり、その場合は当然のこととして、当該歯科医による結果責任で損害賠償責任を問われるべきと考える。
その上で歯原病的症状の特質は、顎口腔という器官の繊細性の面からも、当の患者は片時も精神的及び肉体的苦痛から逃れることが出来ない実態を、真摯に受け止めなければなるまい。

これが公的に認められる病名となるためには、今後の学際的研究に依らなければならないため、現在も苦しい立場に置かれている患者の精神的、経済的負担は計り知れないものがあることを知るべきであろう。
これらに対する国の適切な対応が急務なことはいうまでもないが、これら治療の現状は概ね保険適用外であり、治療を希望するにしても自費扱いになっているのが現状である。
このような実態からも、保険の適用が受けられ多くの患者の経済的負担がせめて軽くなることが望まれている。

敢えて一言付記するが、先述した時の明治政府が、1874年、医制を公布し、文部省医務局の統括下の衛生行政や医学教育の歴史の中で、結果的とはいえヒトの身体を顎口腔と、その他全身系とに教育の段階からも分断してきてしまった、この国の医学教育及び医療行政の失政であり、その狭間で苦しんでいる患者の立場からの叫びである。

国の医療費問題が国家の財政を圧迫し深刻になっている現状であり、聖域なき構造改革が叫ばれている折から、これらの問題こそ俎上にのせるべきである。
問題点は、大きくこれらに集約される。

これを先んずる形で、顎位や噛み合わせを対象にした各種の卒後研修が行なわれている。
また、マスコミの報道の中にも、問題の整理もされないままに、一人歩きしている向きも散見される。
一番困るのは患者!ということにならないよう念願してやまない。

新聞の記事が、医療相談として取り上げている。
内容は「25歳の女性。顎関節症で10年前に透明のマウスピースのようなものを付け、1ヶ月程続けた。最近になって痛むので受診すると『奥歯に負担がかかっている』と言われ、噛み合せが合うように歯を削る治療をうけているが、不安です。他の治療法や注意点を教えて」というものである。
これに対し、某私立医科大学の口腔外科、しかも現役の臨床教授は、MRIによる間接円盤の治療の説明をし、患者の不安に対しては、一度、顎関節症なると無理がきかない、と今後の注意点をあげているのである。(1999年12月19日、朝日新聞・日曜版コラム「どうしました」より)

何ということであろうか。回答者は、顎口腔は咀嚼器官という機械的力学的要素が人体にどのように影響するかを、理解しているのであろうか。
つまり顎口腔、特にこの場合は結果的に顎関節に症状が出ている例である。
顎関節部に器質的な問題がある場合は別としても、この相談者は口腔の歯牙組織に何等かの異常があって症状が出ているものと考えられる。
それらについての基本的処置などには全く触れられていないことに、大きな疑問を抱くのである。
メディアに各種の制約があることは理解できるとしても、この新聞記事から受ける印象は、余りにも即物的な対応であり、歯科学のサイエンスを放棄してテクニックのみが前面に出ている。
一般に与える影響を考慮すると、大きな誤解を印象付けることになる。

現在の歯科医学、歯科医療の実態を象徴するもので、あまりにも稚拙と言わなければならない。

問題になる噛み合せの不調和がおきてからでは、もう遅いのである。
歯が減る実態も口腔を含む全身系との関連性からは、一種の病態なのである。それは、周辺組織を巻き込んで及ぼす影響が実に大きく広範に亘るのである。
そのような顎口腔の意味する認識が、この相談記事からは全く覗えないのである。
実に即物的対処法によって、一時的にお茶を濁すようなことを、それも責任ある立場の人物が、日本の三大紙上で語っているのである。
繰り返すが、結果としての症状が出ているのである。
その前提からしても、余りにも短絡的な対応であり、歯科大学の専門臨床教授として、もう少し物事の本質を見極めるべきである。

その他、単に噛み方に問題があるといって、噛み癖の矯正をする目的で、術者が患者に対し噛み方を強要したところで、毎日の生活をするうえで噛み癖まで気にしていて、毎度の食事が楽しく、おいしく食べられるだろうか。
やはり、自分の好む食べ物を思いのままに食べられることが、精神的にもストレスにならず、からだにとっても有効に働くのである。
実際に問題のある噛み方をしている場合は、その原因を科学的に精査し特定する必要がある。
それらしっかりした”根拠”のもとで、口腔にこける咀嚼運動の機序などを諸条件を満たし、整合性ある顎口腔の生理を整える必要がある。

また、いわゆる「噛み癖」ということについても、現在までの歯科医学ではまだ確固とした学問的定義も存在しないのである。
よって、現在の臨床歯科医としても、正しい理解や認識がなされていないのである。

このような状況の中で一概に「噛み癖」という問題を歯科学で如何に科学的根拠の下で解明するかもテーマであり、噛み癖という言葉を安易に使うこと自体が問題である。
口腔内の条件によっては、どんなに努力しても一方向でしか噛めない場合が問題になるわけで、それまでは左右どちらも噛むことが出来たとしても、何らかの理由(外傷、歯牙の欠損、咬耗または歯科による虫歯や補綴治療、歯列矯正による場合等々)で、租借運動の機序が失われたために、片側でしか噛めなくなってしまった場合が殆どであり、不整歯列がその原因になっている場合もある。

その他、口腔内の条件にとっては形の大きな食塊や硬い物を噛む時と、それらがある程度噛み砕かれてからの咀嚼側が、本人の意思のままにならない場合など、一概に「癖」と言って片付けることには無理な事例が、顎模型を規格化し精査する段階で明瞭な判断が可能になる。
若い頃はその条件が整い、両側の咀嚼が可能であったとしても、加齢現象により歯も減ってしまうのである。
それらにともない、歯牙自体の位置にも変化をきたし、上下の歯槽骨の変形および上下の顎骨の位置関係のズレにまで及ぶのである。

口腔における下顎の存在は、上下の歯牙の状況や神経筋機構の作用により、実にミクロ単位の要素で、どのようにでも位置してしまう物なのである。
つまり、学位という物は年々歳々変化する物であり、ある意味で実に捉え所のないものである。
こういう表現をすると非科学的と移るが、大切なことは、実に患者の訴えるこの認識なのである。

人体の中でも顎口腔の機械的影響力は特に”微妙でその作用が甚大であり、計り知れない器官であり組織なのだ”という前提で真撃な対応をしなければ、一歩も前に踏み出せないということを理解すべきである。
逆の言い方をすると、この問題を解明しようとする余り、顎口腔を便宜的手法で細分化し、局所に視点を当てて来たこと自体、一層理解しにくい物にしてしまった感がある。

資料を紹介する。
日本歯科大学で厳選した正常者の奥歯(下顎第一大臼歯)に、100ミクロン高い詰め物(実験的咬合干渉)を入れて、実例した例がある。
それによると「1週間後咀嚼筋の著名な緊張や顆頭(下顎頭)変異などに加え、交感神経亢進、自律神経系の機能変化、特に成人病の突然死の原因の一つとされている睡眠時無呼吸の有意な増加、典型的な睡眠障害、明らかな情動ストレスを伴う歯ぎしりや噛み締めなどのブラキシズムを誘発又は増大させて、顎機能障害者と同等、もしくはそれ以上の機能障害症状を発現した。
また実験的咬合干渉を除去すると、1週間後にはほぼ正常な状態に回復することが明らかになった。(中略)
ここで臨床上注意すべき点は、実験的咬合干渉付与後の咬合接触が数日内に正常レベルに回復してしまうこと」(日本歯科大学歯学部歯科補綴学第1講座 小林義典・・『咬合に関する生理学的要素=顎機能障害の発症における咬合問題の役割』)

これらの実験経過のうち、後段の部分が実に重要である。
つまり”実験的咬合干渉を付与後、数日内に正常レベルに回復した”としていることである。
これが、歯科の日常臨床では「その内に慣れるでしょう!」といった一般的な対応を指すものである。

実験は数ミクロン単位といえども、確実に学位に変化を及ぼしている。
また、ここでこだわらなければならないことは、身体機能が正常レベルに回復した、としているが、歯牙自体の生態生理や、顎位そのものが微妙に偏位してしまうことを見逃してはならない。
これは全身性に言う機能障害が除去されたことを意味しているのではなく、補整(補って具合の悪いところを治す作用)によって、”適応”が行われたことを意味する。それにより、厳密な意味での顎位が偏位したことになるのである。
実にこの点こそが重大な問題として、日常臨床においても特に留意されなくてはならない。
現在の術者優先の診療形態などに起因するところが少なくないのである。

人体は元より自然科学の象徴のような存在と言われ、その実態をそのまま”真理”と受け止め、分析するのが”科学”の科学たる存在意義なのではなかろうか。

目に見える物、反復性のあるものの積み重ね、また、デカルトの心身二元論のような便宜主義的手法で簡単に片付く物ではない、ということであろう。
それらに対しアレキシス・カレルは、デカルトを批判し「医学が病気の研究だけに閉じこもるならば、それは医学自体がかたわになることだ」と、また「医学の知識は『病気の科学』以上のものでなければならない」として医学のあり方やその研究の基本的方向性に対し、重要な注文をつけているのである。

このような理由で、まことに残念であるが、歯の噛み合わせの状態が、生涯に亘って問題が起きないという保証など、全く出来ないと言えるのである。
よって”宿命病”と言うことが出来るものと考える。
「齢」という字の持つ意味が語るところでもあり、実に興味深いところでもある。

歯科医としては、患者の咀嚼運動が噛みにくい条件になっている、または、なりつつあることを、専門家として臨床上も科学的でより的確な診断をしなければならない。また、それだけの力量がなくてはならないということである。
しかし、まことに残念なことに、それを診断する学問体系や基準など、先に述べた通り、歯科学においても研究がなされていないのである。
医学というジャンルの中でも特にその専門性が問われなければならないはずの歯科学における、嘘のような本当の話である。

その中で巷では、無責任にも「噛み癖を直すためにガムを噛め!」と喧伝する向きがあるが、何故、片側噛みをしてしまうのか、という口腔内の実態にこそ問題がある。
また、寝方や寝姿を治せと言われている。実際の話、意識している間は何とか努力するとしても、何れもが意識から外れた状態では、効果どころか無理をすることで、逆効果になる可能性を否定できない。
むしろ、術者の指示通り出来ないことで、患者自身が精神的なストレスに陥ることにもなりかねない。
その方が余程、問題である。机上の空論と言うべきか。

また、歯の噛み合わせに問題がある場合などは、企業の宣伝をウのみにしてガムを噛ませ、顎を必要以上に酷使することで症状が悪化してしまうことにもなりかねない。そうなる前にまず、顎口腔と全身系の関わりを精査し、その上で必要があれば、顎口腔の生理や咀嚼運動の機序などの条件を整えるべきだろう。
現在の歯科学は、この辺りの学問的根拠が確立していないのである。
よくあることだが、言葉の一人歩きにならないように、専門家としては臨床の場で、的確な診断基準が必要になる。
ひとえに歯科医師としての的確性を備えた上で、その責任の一環として”技術的力量”の向上こそが望まれている。

冒頭に定義した視点から言うと、現在までの歯科は、専門にも拘らず、残念ながら、それら”顎機能の生理”という、生態にとって最も重要な研究は上べに過ぎず、基礎的研究は殆ど為されていないと言える。

また、成長過程にある子供の場合は、本人も噛み合わせや、顎などの異常を自覚できないものの、家族など周囲が気付く場合もある。

例えば、幼い頃は元気で明るく、ごく普通の良い子であったのに、永久歯で最初に萌出する6歳臼歯(第一大臼歯)が萌出し始める頃から、それまでとは打って変わって別人のように気難しい性格になってしまい、学齢期とも相俟って家族や周囲がてこずる場合がある。
これらに対しても専門であるはずの歯科学の実態が稚拙であるため、何らの対応もされて来なかったのである。

このような場合、一般的な見方としては、家族関係や学校、友人関係という対外的な原因が、その第一義的要素として問題にされがちである。
しかし、当の本人も、何がその原因なのか気付かずに、やり場のない苦悩から軌道をはずすことにもなり兼ねない。
また、それらの中には、最近のマスコミの報道内容や、その姿勢に問題を指摘せざるを得ないような、嫌悪感を抱く内容が実に多いことに共感を覚える方も多いのではないだろうか。

マスコミは報道の自由とし、その立場をはきちがえたような内容のものが、雑誌やTV番組に登場している。
そして、明らかにそれらを模倣したと思われるような類似事件を、同じ局で次の日には報道番組で取り上げ、同じ顔ぶれの”パラサイト的評論家”の出番となっている。
自分たちも含めた大人の重い責任については”異口同音”に責任を回避し、臆面もなく明日また顔を出すのである。

これらの問題に対して歯科学が些かでも根本的な部分で寄与出来るのではないか、と考える時、責務の重大さを感じないわけにはいくまい。

歯科医学の重要な出番である。

- Copyright (C) DentalAnalystJapan 2007 -