歯の常識のウソ

歯ぎしりについて

「歯ぎしり」について触れておきたい。
2001年7月1日「朝日」日曜版『どうしました』の、歯ぎしりの原因についての答えに、「原因ははっきりしない。疲労やストレスなどの問題と、歯の噛み合わせが悪いといった咬合の問題がある」とした、近代歯科医学の臨床教授の弁がある。

前項にも簡単に記したが、顎運動上の側方圧を物理的に排除すれば、即時に現症状から解放される。
つまり、原因ははっきりしている。
従って、治療法も確立しているのである。これを紙上では「原因がはっきりしない」としているが、同一の顎口腔でも歯科医学が細分化され、それらを総合、あるいは関連思考する能力に欠けているのではないか。
現在の歯科医学系学問の閉塞性を如実に示す良い例である。また、その閉塞性が、原因究明を阻む最大の原因と考える。

関連して「臼磨運動」についての考え方を、『新常用歯科辞典』(昭和52年10月20日第2版第4刷、医歯薬出版(株))に求めたところ、次のように掲載してある。
「『臼磨運動』=sliding movement. 歯の咬頭斜面に沿った滑走運動、食品をすりつぶすために重要と考えられている。
Gysi(ギージィ)、中沢らはこの運動を認め、上顎臼歯舌側咬頭の外斜面および、下顎頬側咬頭内斜面の著しい咬耗は臼磨運動の存在を証明するものであると報告しているが、この運動を否定する研究報告もある」としてある。
しかし、この説を否定している研究報告が、どういう内容のものかは明らかではない。
だが、辞典という性質を考える時、両論を掲載するべきではなかろうか。よって、これを学説とすることは、社会通念上からも問題である。

もう一点、上顎臼歯舌側咬頭外斜面および、下顎臼歯頬側咬頭内斜面の咬耗、と記載されている。ここに記載された部位同士では、咬耗自体が起きないのではなかろうか。従って誤記、または誤解を与える記述である。

このような内容のものが新常用歯科辞典としてまかり通っていたこと自体、日本の歯科学や歯科医学にとっての由々しき事例であろう。

また、筆者は何度も見返したのであるが、字句の読み間違えはない。つまり、上顎舌側咬頭外斜面とある。
ここは歯牙解剖学的にも明らかに舌側面であり、咬合面ではないのである。従って、この部位は咬合してはならない部分である。
この部分が咬合に関与するということは、顎運動時に当該歯牙に対し側方圧が加わることを示し、当該歯牙に歯周炎が起きることの是認に繋がるのであるが、このような咬耗状態を発表する見識を疑うのである。
これなども”専門化の専門的な研究による一転凝視の自己満足の愚挙”と言わざるを得ない。

現在までの歯科学という学問は「木を見て森を見ず」、また「群盲象をなでる」の譬えと同様、歯や口腔の生理を真に科学的に検証していないのである。
そして全く事実と異なる内容を記述し、一時期、日本の”歯科辞典”として存在し、多くの歯科関係者がこれに学んだのである。

現在は全面改訂されて、「臼磨運動」という字句を避け、「滑走運動」と表題を変えてsliding movement, gliding movementとしている。
「歯や人工歯が対合歯と接触して生じる左右側方、前後の下顎運動をいう。また、下顎頭がこれらの運動とさらに上下の開閉口に伴って顎関節窩内を移動する場合、関節窩内に回転運動とこの滑走運動が生じる」

タイトルを変え違う説明をしているが、現在もなお、臼磨運動という呼称や考え方は多くの臨床家の頭の中には記憶されている。
臨床家の頭の中にあるということは、”臼歯部においては、臼ですり潰す機能がなければならない”と認識しているのであり、”歯ぎしり”しながら咀嚼しても問題はない、という見解を容認するに等しい。

歯と運動する下顎頭については先に記したが、歯ぎしりは当該歯牙に与える影響に止まらず、結果的に下顎頭の後部周辺隣接部への圧迫や、下顎の支配筋、頭位と咬合圧により頸椎生理彎曲への直接的影響、それを支配する神経筋機構への過緊張に繋がる可能性が非常に高くなり、全身系の生理との整合性の上からも看過すべきではない、歯原性の医原病の要因にもなり得る。

現在問題になっているいわゆる歯原病は、以上のような”影響”をどのように考え、科学するのかということが問われているのである。

臼磨運動の記述を担当した学者や出版社の自己批判や明確な訂正などが無いままに改訂版が出されているとしたら、歯科学という学問自体にとって由々しき自体である。
一般社会の実情に照らしてみても、あまりにも姑息である。一つでもこのような事実があると”歯科学”という学問、ひいては歯医者に対する評価は一層地に落ちるであろう。

現在の日本の歯科学をある意味で象徴しているもの、と言えるのかも知れない。

このような状況を克服する自浄能力がなければ、歯科医学または歯科医師は”裸の王様”であり続けるだろう。なぜなら”歯の学問”の専門家であるにも拘らず、本書で提起した各部位に直立する一本一本の歯牙自体の生体上の生理の存在などを含め、全く科学的な解明もされていない、”無知”と断言できるからである。
真に残念ではあるが、お粗末としか言いようがない。

現在の歯科の臨床も、虫歯でもない病む歯に対しての患者の疑問に、患者の納得する説明が出来ない歯科医。
また、虫歯の予防拡大は世界的にも禁忌となっているにも拘らず、歯質をガリガリ削る歯医者。
そして歯周炎、歯周病は歯槽膿漏症の原因になるとの診断で、最大の予防法はブラッシング、の説明に真面目に取り組んでいるのに、一向に改善しないことへの説明が、歯周病菌の感染と説明し、歯周病に罹らない歯についての説明が二転三転する歯医者。
また、同一口腔内において、対合する歯牙の素材の特性を無視した(金属による電位差や、アレルギー反応、陶材と天然歯の硬度差など素材を考慮しない補綴処理など)歯冠修復や欠損補綴で、思わぬ余病や、顎口腔の生理上の不都合を作り出している例。
また、人種差や固体特性による骨格の差異を全く考えていない安易な歯列矯正を、申し出者の希望を鵜呑みにする行為などは、到底、医療行為などとは言えず、明らかな”はかい行為”である。

このようなことを見聞きするにつけ、日本の歯科学はこんなことでいいのか、という気持ちにさせられる。いろいろ考えてみると、妙な勘繰りをしたくなる。つまり、虫歯や歯周病の原因を細菌感染としておくことが、大変都合が良く便利なのである。
それは真理を追究するはずの学問でありながら、一学説を盾に技術以前の問題として処理することが可能である。
つまり、細菌感染説を前提にすると、新卒も永い経験を積んだベテランも、治療技術とは別に、一線上にあり、治療上のミスで二次性齲蝕(治療したところが再発する)になっても、”感染”で患者を納得させて再処置が可能になるのである。

確かに現在まで、口腔疾患の科学的な分析結果は、最近の検出が科学的に証明されている。それが、対抗論として公民権を得ているのではある。
しかし、そこで重要な点は、そのいずれもが歯科疾患の”病態分析”の結果でしかなかったことに気付くべきである。つまり”病気の歯科医学”でしかなかったことに思いを致すべきであろう。
この際、原点に立ち、これら歯科の二大疾患に対しても根本的なところから洗い直し、”健康の歯科医学”確立のための作業が必要ではないかと考える。
これが潜在的な国民の要望に対する、歯科医学及び医療機関のとるべき姿勢である。

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